【告知】サイト移設

こちらで書いてきたブログは、一緒に旅をしている婚約者と合同で運営する以下のサイトに移設しました。過去記事含め全て移行し、それに加え、多くの写真などを追加しパワーアップしていると思います。どうぞ、ご覧ください。

婚前世界放浪記 (http://kenmia.com/)

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【74日目】マレーシアからインドネシアへ<2>

参照:【73日目】旅人だから……マレーシアを出て、インドネシアへ<1>

船からToliToli近辺をパノラマ撮影

船からToliToli近辺をパノラマ撮影

僕らのインドネシアにおける計画というのは本当にアバウトなものだった。数年前の古いLonely Planetに掲載されていた航路図を見て、なんとなくそれぞれの島が船で繋がっていることを知り「ならば!」と考えたのが、ボルネオ島、スラウェシ島、マルク諸島、パプアを順番に船で巡るというものだった。どの島で何をするか、船のチケットをどこで買うか、そもそも本当にそれらの島が船で繋がっているのか? 何も確認しないままのインドネシア行きだった。

よく言えば、それくらい旅に対する肝が据わってきたのだと思う。すべてうまく行くとは思っていない。むしろ、うまくいかなかったとしても死にはしないし、計画通り旅が進むことと旅の面白さに何ら関係がないということを今までの経験で実感したことが大きいと思う。

【73日目】でマレーシアからインドネシアへの航海の拠点であるTawauにまで辿り着き、VISAや船券を買った僕らは、意気揚々と荷物をまとめ、水や食べ物を買って港に向かった。

Tawauの港では同じ船を待つ客が大挙していた。そしてその多くのが顔付きが今までマレーシアで見慣れていたものと違っていた。色が黒いのもそうだが、眉と上唇のあたりの骨が突き出している。母国に持ち帰る大荷物を抱え、家族を周りに従えて、船乗り場のゲートが開くのを待っていた。

なにやらマレーシア語(もしくはインドネシア語だったのか不明)でアナウンスが流れ、人がゲートに集まる。僕らも勝手がわからないまま列に並び、周りの人に「Tarakan?」と尋ねると、笑顔で頷いてくれる。結局そのまま出国手続きをして、船着場に停まっていたスピードボートに乗って、僕らはあっけなくマレーシアを後にした。

Tawau-Tarakanのスピードボート

Tawau-Tarakanのスピードボート

ほぼ予定通り約5時間の航海を終え、Tarakanの港に到着した。とても厳密とは思えない、緩い入国審査を終え、無事インドネシア入りを果たす。ここまでは特に問題も不安もなかった。なぜならばマレーシアのTawauからインドネシアのTarakanまでの船があることはLonely Planetで知っていたからだ。問題はここから先だ。本当に何も情報がない。

15時頃、インドネシア入国を果たすと、いつも通りタクシードライバーが群がってくる。拙い英語でやりとりが進む。

「ホテルは決まっているのか?」
「Sulawesi島のToliToliに行く船があれば、それに乗りたい」
「ToliToliへの船はない。ホテルならいろいろ紹介できる」
「船は明日はあるの?」
「ない。ホテルの予算は?」
「明後日は?」
「ない」

他のドライバーも寄ってくるが、同じような会話。空港や港に集まってくるドライバーを頼って良い思いをしたことがないので、すべて突っぱねて建物を出る。すると、その1人のドライバーが駆け寄ってきて「船のことならそこの受付で聞きな。船はある」と言って去っていった。

半信半疑でその受付に行き、ToliToliへの船について訊ねると、2週間に1度の船が今晩到着するとのこと。これこそ奇跡。適当に来ただけだったが、まさか滅多に来ない船の出航日にあたるとは。客欲しさに飢えたドライバーに騙されなくて本当に良かった。

このTarakanからToliToliへは18時間の航海となるが、費用は約1,500円。その異常な安さに「やっぱり船旅は安い!」などと思っていたが、それは相応のクオリティだからだった。

港の前のカフェらしき店で、今まで飲んだどんなコーヒーよりも甘いコーヒーを飲みながら、夜の船の到着を待った――ちなみに、この後でインドネシアで飲むコーヒーはどれもこれも同じように甘いことが分かった。

船は予定の2時間遅れで到着し、溢れんばかりの乗客を飲み込んで出港した。

今まで数回乗ってきた船とは違い、今回の船は大型の客船だった。船の1階(という表現で正しいのか分からないが、甲板と同じ階層)から下が、僕らの買ったエコノミークラスの客席で、それより上が上級クラスとなる。エコノミークラスのスペースは雑魚寝用のマットレスが引いてあるが、積んでいる荷物のせいか、全体的に生臭く、空間が閉じており暑く、ジメジメとした、とても18時間も耐えられる環境とは思えないものだった。それどころか、すでにマットレスは埋まっており、僕らは木のベンチを確保するのが精一杯。これはまあまあ良い方で、階段の途中で寝る人、通路の端で寝る人など、いくらでもより悪い環境に身を置かざるを得ない人が多数いた。

深夜0時過ぎ、船は出航した。いくら環境が悪いにせよ、とにかく最初の目的地であったToliToliに辿りつくはずの船に乗ることができた。十分な疲れと、ひとまずの安心感で僕らはベンチで眠った。騒音と暑さや匂いによる寝苦しさで何度と目を覚ましながらとはいえ、とにかく寝れただけ良かったと思う。

朝になり、すこし体力が回復した僕らは船内を散策し、上級クラスのロビー的な場所に潜り込み、少なくとも暑くなく、臭くない場所で体を休めることができた。そんな中、一緒に旅をしている婚約者が白人を見かけたらしく、話すチャンスもなかったものの、同じような旅をしている人がいる安心感を感じたのを憶えている。

外国人が珍しいのか、時々インドネシア人が寄ってきては「Photo Please」といって僕らの写真を撮っていく。そして、これは船の中に限らず、その後のToliToliを始めとするどこの町でも同じようにみんなに写真を撮られた。恐らくいろんな人のFacebookやTwitterに「よそから来た変なガイジン」として投稿されたことだろうと思う。

そうこうしているうちに船は航海を終え、ToliToliという港町にたどり着いた。船から見たその町は小さく、とても観光産業などが栄えているような町には見えなかった。船を降りても、観光者の多い町にありがちな、観光客をカモにしたタクシードライバーなどが寄ってこない。むしろ珍しそうにジロジロ見るくらいの物だった。

船から見ると海岸線に並ぶ小さな村=ToliToli

船から見ると海岸線に並ぶ小さな村=ToliToli

適当なタクシーにホテルを紹介してもらい、送ってもらった。

タクシー乗ったら子どもたちが付いてきた!

タクシー乗ったら子どもたちが付いてきた!

ToliToliの風景

ToliToliの風景

Whatever Will Be, Will Be、ケ・セラ・セラ、なるようになる。

この先もなんとかなれば良いのだけど……。

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【73日目】旅人だから……マレーシアを出て、インドネシアへ<1>

マレーシアのKota Kinabaluから車で2時間ほどの場所にあるKuala Penyuという町で家事手伝いなどのボランティアを3週間ほどしていた。その家庭はもちろん、日々出入りする友達や家族たちの人の良さや、家の人の「いつまでも居ていいよ」と本気で言ってくれる優しさに甘え、家を出るタイミングを見失っていた――そんな人の良さを除いても、日本人はマレーシアにビザなしでなんと90日滞在でき、居候状態で衣食住にまったくお金もかからないものだから、それこそ家を出る事務的な理由などどこにもなかったのだ。

ある日、僕らは8月19日に家を出て、インドネシアに向かうことを決意。家の人達にそれを伝えると「1日でも長くいればいいのに……」と勧めてくれる。それを断って、家を出る合理的な理由などない僕らは「僕らは旅人ですから……」と伝えるのが精一杯。しぶしぶ納得してくれた家人たちはインドネシアに向かうための交通手段についてあれこれ教えてくれた。

僕らが旅を終えて落ち着いた頃、きっと彼らは彼らの夢であるゲストハウスをオープンしているはずで、彼らは「もちろんタダでいいから、必ず遊びに来てくれ」と何度も言ってくれた。僕らとしても、あちらこちらのゲストハウスを見てきた経験から、滞在中には出来る限りのアドバイスをしてきたつもりで、そのゲストハウスには強い仲間意識を感じるのだ。いつか必ず帰って来なきゃいけない。

さて出発当日、まずKuala Penyuから車で1時間弱のBeaufortまで送ってもらい、そこでSabah東端にあるTawauという町を目指す。これは大型のバスで、快適とは言わないものの、割と楽な移動だった。17時頃に出発したバスは、真っ暗な山中を縫うようにして走り続け、朝の5時にTawauに着いた。適当なタクシードライバーを捕まえて、TawauからインドネシアのTarakanに向かうフェリー乗り場に送ってもらう。

ここまでは非常にスムーズだった。

10時頃まで時間を潰し、チケット売り場が開くと同時にTarakan行きのチケットを買おうとすると「今日はない」とのこと。愛読しているLonely Planetには毎日あると記載されているので、しつこく訊ねたり探したりするが、やはりない。苦し紛れに出国管理局に言って同じことを訊ねると、やはりないとのこと。翌日にあることは確認できたので、明日行こうと気持ちを入れ替えた時、出国管理局の女性が「で、VISAはあるんですよね?」と……。

Lonely Planetには「到着時のVISA(VISA on Arrival=VOA)」が割とどこでも手に入ると書いてあったので、「なんとかなる」の精神で思い切って行くつもりだったのだが、この女性曰く「VOAはない」とのこと。

あわてて、ホテルを取ってネットで情報を捜すとインドネシア大使館はないが、領事館はある。もしかしてVISA取得に1週間かかるのでは……、と妙な不安に駆られたが、いざ領事館に行き事情を説明すると、なんとまぁ、簡単なもので即日発行できるとのこと。しかも、30日も60日も同額。本来は出国のチケットを事前に提示することが必須だが、それもなしでOK(そのかわり、なぜかクレジットカードを提示した)。

こうして、朝5時にTawauに到着してから、夕方までにインドネシア行きの船のチケット確保し、大慌てでVISAを確保し、安いホテルを見つけるというなんとも忙しい1日が終わった。Kuala Penyuを出たときのうら寂しい気持ちはこれらの事務作業に追いやられ、明日からの船旅や初めてのインドネシアへの期待と不安が心を占めていた。

TawauからインドネシアのSulawesi島のToliToliまでの移動についてはまた別の記事にて。

〜豆知識〜

  • マレーシアのTawauからインドネシアのTarakanへの船は2日に1度
  • このルートでは到着時VISAはない。
  • Tawauのインドネシア領事館にお昼ごろまでに行けば、VISAを即日発行できる。
  • Tawauは港町だからか朝も夜も早い。8時頃には店が空いてないので夕飯は早めに。
  • Tawau〜Tarakanの船代は130RM(4000円くらい)
  • Tawauのフェリー乗り場をうろうろしていると、インドネシアの通貨に換金してくれる人が現れる。
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【69日目】マレーシアで村長さんに誘われて結婚式へ

「君らがこの村に来た最初の日本人だ」

マレーシアのホストの家でまったりと和んでいたときのこと、見知らぬ老人がやってきて言った。名前を尋ねるも、英語がまったく通じず、ホストに通訳してもらって分かったことは彼がこの村の村長だということ。

「来週うちの息子の結婚式があるから来なさい」

そろそろマレーシアを去ることを考えていた僕らは行くとも行かないとも言わず、曖昧に受け流していたのだが「絶対来なさい」と強く招待され、行くことに。そして、当日、ホストの車を借りて会場へと向かった。

車にのっている時から遠くからカラオケらしき音楽が聞こえてくる。

離れたところからでも音楽が聞こえるほどの音響設備をレンタルした村長さんの家!

離れたところからでも音楽が聞こえるほどの音響設備をレンタルした村長さんの家!

新郎新婦が家の玄関あたりで優雅に座っている他は普段のホームパーティーとあまり変わらず、みんなビュッフェで食事を取って、食事をしながら団欒。

まさにホームパーティーという感じでビュッフェ形式の食事!

まさにホームパーティーという感じでビュッフェ形式の食事!

みんな好き勝手に食事

みんな好き勝手に食事

突然カラオケが止まったと思ったら、怪しげに並んでいた楽器を使った地元の音楽隊の演奏! 若いミュージシャンが淡々と演奏する。

地元の音楽を奏でる音楽隊!

地元の音楽を奏でる音楽隊!

最後に新郎新婦に写真を撮らせてもらい、僕らは帰宅。

新郎新婦からしたら、僕らなんてただの他人なのに申し訳ないけど、ありがたいな、と思っていたけど、他のお客さんに「新郎新婦ってどんな人なの?」って訊いたら、「知らない」って言ってたから、近所の人ってだけでみんな集まっている感じなのかも。

良い経験をさせてもらいました!

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【64日目】嬉し悲しのキナバル登山

世界一周の旅に出るずいぶん前――たぶん半年以上も前のことだ――、友達から「8月にマレーシアのキナバル山で登山しよう」という誘いを受け「俺は旅に出るから、そのタイミングでマレーシアに行くよ」と答えていた。深く考えもしなかったこの計画だったが、あれよあれよと話は進み、実現することになった。

キナバル山というのは東南アジアの最高峰で4,095.2mある。日本人なら富士山の3,776mより少しだけ高いこの山に登りたくなる気持ちが分かるのではないだろうか?

「日本の最高峰より高く、日本にはない4,000m超えの山」

あゝなんと甘美な響きだろう。世界遺産にも登録され、世界最大の花であるラフレシアが咲くエリアでもある。日本とは違い熱帯雨林気候なので、山の麓はジャングルになっていて「椰子の木を眺めながらの登山かな」なんて考えるだけで興奮してしまう。

8月9日の深夜、日本から友達らがやってきた。日本人には旅の途中でも会っていたが、やっぱり友達に会うというのは嬉しいもので、到着が深夜を回っていたにも関わらず、しばらく飲んでなかったビールを飲んで、久々の再会を祝った。

キナバル山は入るのに許可が必要で、登山にはガイドを付けることが必須となっている。かつ頂上のロッジに泊まれる人数以上は山に入ることも許可されないため、事前の予約が必要だ(ただし、時間さえあれば<キャンセル待ち>という手はあるらしい)。僕らは日本のツアー会社を通じて全て手配していたので、現地のスーパーで行動食を買う以外にやることはなかった。

登山開始の8月11日の朝、ゲストハウスに迎えの車がやって来る。中国系の陽気なドライバーがアメリカンジョークにも似た冗談を織りまぜながら軽快にトークを続けるも、朝が早かった僕らは熟睡。途中、目を覚ました時にミラー越しに見たドライバーの顔が寂しそうだった。

登山開始

山の麓に着くと、ツアー会社からのお弁当を受け取り、手続きを諸々済ませて登山開始となる。ちなみにお弁当だが『絶対に』足りないので、自分で持っていったほうがいい。

約1,800m地点からのスタートということで、最初の100mが下りになる以外は延々と登り続けるコースである。多くの人が最初から飛ばし、早足で登っていったが、すぐに疲れが溜り、動けなくなった。一方じっくりペースを押さえて登った僕らは淡々と進み、そういう人たちも抜きつつ、いいペースで登れた。

ひたすら登れ!!

ひたすら登れ!!

ひたすら登り。一瞬平坦な道が出てくるとホッとする。

ひたすら登り。一瞬平坦な道が出てくるとホッとする。

植生が日本と異なり、歩いているだけで楽しい。

植生が日本と異なり、歩いているだけで楽しい。

登山は休憩の為に登るのです

登山は休憩の為に登るのです

この緑がかった景色が好きなのです

この緑がかった景色が好きなのです

これ、分かりにくいけど手のひらより大きく、触ると固い。

これ、分かりにくいけど手のひらより大きく、触ると固い。

日本的な雰囲気を感じたのでパシャリ

日本的な雰囲気を感じたのでパシャリ

霧が妙に景色を幻想的に変えてくれた

霧が妙に景色を幻想的に変えてくれた

初日は6kmの登山。1日の行動量としては多く無いが、標高差があるため、体力が奪われる。雨のせいもあり、山小屋に着いたときにはクタクタだった。ちなみに日本の慣例に従って山小屋と書いたが、かなりきれいで大きな宿泊施設だった。「ロッジ」と言ったほうが近い。食事もビュッフェ形式で美味しかった。ただ、夜は冷えるので余分にシーツくらい持っていった方が良いかもしれない。

翌朝1時30分に起きて、軽食を食べる。夜明けまでに頂上に行き、そこから日の出を見るというのが一般的なキナバル山の上り方。これは富士山と一緒。ヘッドライトを付けて、狭い登山路を並んで歩く登山客を見ていると蛍にでもなったような気分になるが、初日の疲れと高い標高であることによる空気の薄さで疲れが半端なく、みんな黙って上を目指した。

約3,500m地点からは鎖場となり、傾斜のキツく、落ちれば致命傷という場所も少なくない。高所特有の息苦しさと、前日からの疲れ、雨・風による体力消耗で、メンバーはヘトヘト。鎖場前半のキツイ箇所を終えるも、延々続く岩場の登りが苦しくなってくる。メンバーの中には高山病で頭痛を抱える人もおり、夜明けにも間に合わなず、体力的にも帰りが辛い――というのも、登頂したあと、昨日登った道を下らなければならないのだ――。苦しいながら、安全を優先して3,800m地点で下山を決意。わずかに富士山を超えたものの、あと300m上空、徒歩にして約1km先にある頂上を背に下山した。

植物がなくなると、ひたすら岩場が続く

植物がなくなると、ひたすら岩場が続く

登頂断念した少し後で霧が晴れて、周りが見えた。

登頂断念した少し後で霧が晴れて、周りが見えた。

悲しい決意ではあるものの、ちょうど下山と同時に夜明けが始まり、僅かな時間だが霧も晴れ、険しい岩盤が姿を表した。いつかまた挑戦したいと思う。

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【35日目】ホーチミン市の日常

ホーチミンについて3日目。目立った観光はほとんどしておらず、観光らしいことと言えば戦争博物館に行ったことと、サイゴン川までバイクタクシーで行ったことくらい。あとはただ朝昼晩の食事をして、空いた時間はコーヒー飲んだり、ビール飲んだり、地図片手に散歩して、疲れるとゲストハウスで昼寝。まさに沈没(観光もせず、長期滞在しているバックパッカーをこう呼ぶ)しているような状態だ。

とはいえ、ベトナムでの日常は僕にとってはそれ自体が観光のようなもので、非常に楽しいので、淡々と日常を紹介したいと思う。

1.ゲストハウス – LoFi Inn Guesthouse

ここは本当に快適なゲストハウス。このテラスにいるだけで気持ちがいい!

ここは本当に快適なゲストハウス。このテラスにいるだけで気持ちがいい!

まず宿泊しているゲストハウスはLoFi Inn Guesthouseで、ここは本当に快適だ。たまたま宿泊客が少ないこともあるので、余計に快適なのかも(8人部屋に1人きり……と、書いているときに1人やってきた!)。ベトナムコーヒーが飲み放題なので、ダラダラするには最適だし、7ドル/1泊ということで、値段も悪くない。

屋上階がテラスになっていて、ここでコーヒー飲みながら読書したりしてる。

他のゲストハウスに行っていないので、比較はできないが、とりあえずオススメはできる。

2.道路はもちろんバイク・バイク・バイク……

ベトナムでは原付バイクが大量に走っていることは来たことがない人でも知っているだろうが、いざ来てみると、その数に驚いた。どこもかしこもバイク。すべての通りがバイクで埋め尽くされ、歩道はすべて駐車されたバイクで埋まっている。バイクの修理をやる店も多いし、バイクのレンタル・販売の店も多い。

道路の8〜9割はバイク!

道路の8〜9割はバイク!

歩道はいつもバイクで埋まる。自分のバイクが見つからなくならないのかな。

歩道はいつもバイクで埋まる。自分のバイクが見つからなくならないのかな。

3人乗りは当たり前です!

3人乗りは当たり前です!

新車でも4〜10万くらいで購入でき、中古だと新車の半額程度で買えるらしく、もし自分がここに住むなら、やっぱりバイクを買うだろうなと思った。

こういう交通状態なので、慣れないと道路を渡るのもひと苦労だが、実はそれほど難しくない。大事なことはバイクや車に自分の存在を知らせるために、見通しが良いところに立ち「これから渡るからな!」というオーラを出す。で、ゆっくりと踏み出す。あとは運転手とアイコンタクトをとりながら、渡りきればイイ。

3.食事

ベトナム料理は日本にいる時から好きだったが、現地に来て、ますます好きになった。本当においしい。野菜多めで、濃すぎず、薄すぎず、食感も良く、香りもいい。バラエティも多く、まったく飽きない。フォーだけでもすでに4件ほど食べたが、それぞれまったく味が異なり、甲乙付けがたい。

フォー屋台

フォー屋台

ベトナム料理の定番フォー

ベトナム料理の定番フォー

テーブルにパクチー・ライムなどが置いてあり、それを自分で好きなだけ入れて食べる。これがうまくて、パクチーを入れまくっている。日本で食べるよりも味がシャープで輪郭がある感じ。うまいよ。

もう1つの好物がバインミー。これはまったく知らなかったんだけど、バインミーの屋台があまりに多いし、値段も10,000VND(50円くらい)と安いので適当に食べてみたらヒット! 最高にうまいです。

ここはベトナム風サンドウィッチのバインミーで有名な店。レストランではなく、eat inできる惣菜屋的な感じ。

ここはベトナム風サンドウィッチのバインミーで有名な店。レストランではなく、eat inできる惣菜屋的な感じ。

Nhu Lanで食べたバインミー。これ、本当にうまくて2個買っちゃった。1つはすぐ食べて、もう1つは時間をあけて食べたんだけど、時間空けるとしっとり馴染んで、それはそれでうまい!

Nhu Lanで食べたバインミー。これ、本当にうまくて2個買っちゃった。1つはすぐ食べて、もう1つは時間をあけて食べたんだけど、時間空けるとしっとり馴染んで、それはそれでうまい!

そして疲れたらカフェ。ベトナムは本当にカフェが多くて、居心地がいい。多くの店がFree WiFiを提供しているので、それが目的で入る現地の人も多いみたい。定番のベトナムコーヒーは凄く甘くて、体に良いとは思えないのだが、暑くて疲れていると、これが染み渡る。

オススメは朝のベトナムコーヒー屋台。道路に椅子を並べて、現地の人に混ざって、行き交うバイクを見ているのも楽しいもの。しかもどこの店もコーヒーを頼むとお茶も付けてくれて、このお茶は飲み放題(というか、なくなると注いでくれる)。ダラダラといるには最高。

朝の10時に閉まるベトナムコーヒーの屋台。愛想が良くて、凄くおいしい!

朝の10時に閉まるベトナムコーヒーの屋台。愛想が良くて、凄くおいしい!

朝、街の喧騒を眺めながら、何をするわけでもなく、ベトナムコーヒーを飲むのが楽しい。

朝、街の喧騒を眺めながら、何をするわけでもなく、ベトナムコーヒーを飲むのが楽しい。

こうして、日々を過しているわけだけど、本当に贅沢な気分。日本語の本屋でもあれば、そこで文庫本でも買い漁って、何ヶ月でも過ごしたいものダ。

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【33日目】モンゴル回想

「写真を撮ってイイ?」と訊ねると嬉しそうに「Yes」と答えた。

「写真を撮ってイイ?」と訊ねると嬉しそうに「Yes」と答えた。

モンゴル・ウランバートルから中国・北京に向かう国際列車の4人部屋で今こうして記事を書いている。

部屋には僕ら2人しかおらず、他にあるものといえば買いためた食料品と数冊の文庫本と、それらを飲み込む30時間もの途方もない乗車時間しかない。どうせ飲み込まれる時間ならば、意義あるものにしたいと思い、モンゴルの旅をまとめた記事でも書こうかと思い立った。

6/9に世界一周の旅へと出発し、今日で27日目。移動に費やした時間もあるとはいえ、4週間近い日数をモンゴルで過ごしたことになる。かといって、あれこれと忙しく観光していたわけでもなく、やったことと言えば、ウランバートルの町でただ平凡に生活し、田舎町に行って馬旅を体験し、さらなる田舎でオトゥという女性の仕事を手伝いつつ生活を共にさせてもらったくらいのものだ。

兄弟3人で仲良く走り回っている。

兄弟3人で仲良く走り回っている。

最初、モンゴルが文化の面で深みのある国のように見えなかった。社会主義から資本主義へ変化し、使う文字も短い期間で入れ替わり、ゆっくりと文化を深めていくような余裕ななどなく、国民はコロコロと変わる政治と文字に振り回されていたのかもしれない。世界の芸術文化に詳しいわけではないが、モンゴルの北に接するロシアは小説「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」を生んだドストエフスキーの祖国であり、他にも素晴らしい作家が多い、南に接する中国もご存知の<中国4000年の歴史>と言われる通り、音楽・文学・建築物などで素晴らしい作品を残している。そんなロシアと中国に挟まれ、日本からの距離も近いはずのモンゴルだが、日本で暮らす僕らが知っていることと言えば馬頭琴という楽器と、ホーミーという奇抜な歌い方があることくらいだ――それらはそれらだ十分すぎるほど素晴らしいのだが……。

だからこそ「モンゴルの文化」という面に注目しながら旅をしていたつもりだが、ある時までは「やっぱり思っていた通りだな」と感じていたが、モンゴル北部の町ハトガルで馬旅をし、働かせてもらっていた数日で強制的に思い知らされたことは「生き方そのものが文化であって、そしてそれが記念碑的な思い出話ではなく、今の実生活にも根強く残っている」という事実だ。

僕らがしばらくお世話になった田舎町。

僕らがしばらくお世話になった田舎町。

今でも家畜を放牧し、そこから得られる毛を衣類に変え、肉や乳をその日の食料品とし、時としてそれを売り現金を得る。毎朝必ず乳を絞り、そこからスーテーチャ(モンゴルミルクティー)を作り、形状や味の異なるチーズやヨーグルトを何種類も作る。これらが観光客向けの土産物としてではなく、本当に生活の中に溶けこんで、当たり前のものとして存在するのだ。遊牧民の移動型住居であるゲルもそうだ。実際に今でも当たり前のように使われている。

馬とも当たり前のように共存していて、誰に聞いても馬に乗れるし、東南アジアでよく見かける「バイクや自転車でのタクシー」のように馬でのタクシー的サービスも田舎の町では残っている。言うまでもなく、これらも観光客向けではなく、地元の人が使っているサービスだ――そもそもそんなに観光客はいないのダ。

赤ん坊の羊を子どもが世話している。

赤ん坊の羊を子どもが世話している。

こういった文化的生活(というと、変に都会的な生活に聞こえるナ。生活的文化、と言ったほうが正しいかもしれない)の中で短い期間とはいえ生活し、とにかく実感させられるのが、仕事と生活の距離感の違いだ。今の社会だと仕事は現金を生み、現金が食料品や生活品に変わる。仕事の内容自体も人の生活にどのように関与するか分かりづらいことも多い。このおかげで仕事は仕事、私生活は私生活という現代の生き方が成り立っているとも言える。

ところが僕らが今回経験した生活と仕事はすべてが直結する。今日、乳搾りをサボれば飲む乳はなく、水を汲まなければ料理もできず、薪を割らないと料理もできなければ、暖も取れない。パンや麺が食べたければ小麦粉から練るしかなく、インスタントに食べられるわけじゃない。その季節にならなければ食べられないものもあり、季節感などというものは放っておいても感じさせられる。季節感を感じるために週末に公園に行ったり、旬の野菜を食べられるレストランに行く必要などない。

なにも「日本もこうあるべきだ! 自給自足をしよう!」と言いたいわけではない。仕事の後で飲むビールはうまいし、そこで食べるものもうまい。自給自足には有給休暇などなく、ゆっくり旅をすることもできない。とてもじゃないが、あの生活にどっぷりと一生を費やすことはできなそうだ。現代的生活の中で少しだけ、例えば庭で野菜を育ててみたり、自分で麺を作ってみたり、パンを焼いてみたり……、自分で自分の生活を作る行為を取り入れてみたいと思うのダ。

そんなモンゴルにも近代化の流れは始まっている。1滴の水滴が大海に起こす波紋のように、広大なモンゴルの草原にも近代化という水滴が起こした波紋が広がっている。首都ウランバートルの中にいれば、十分に「現代的な生き方」ができるし、実際そういう人が多い。

これから何十年かが過ぎて、その波紋がどういう広がり方をするのか? 何を壊し、何を残すのか? 興味がある一方で、姉妹で羊追いをするあの少女たちの姿が失われなければいいな、と身勝手に思ってしまうのダ。

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